具体的には、教会の礼拝の中でなされている洗礼式、聖餐です。洗礼はキリストと一体となる儀式です。神の御子キリストと結び合されて、わたしたちは神の子とされました。そして、キリストが招かれる聖なる食卓、すなわち、聖餐式にあずかり、キリストの体であるパンを食べ、キリストの血であるぶどう酒を飲み、十字架と復活のキリストに結び合されて、わたしたちは御国の喜びにあずかるのです。この喜びは、人によって、人の意志によって、人の欲によっても実現することはできません。神がロゴスであるキリストを通してお選びになられた者だけに、ヨハネによる福音書の表現では「神によって生まれた」者だけに許されているのです。 聖書 ヨハネによる福音書20章24~29節 説教者 山岡創牧師 ◆「イエスとトマス」 20:24 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。20:25 そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、ト… ヨハネによる福音書は、わたしたちに冒頭で「初めに言があった。」と宣言します。神が初めに天地万物を創造された時に、「言」である主イエス・キリストは創造主なる神として存在されていました。
ヨハネによる福音書18章12~14/19~24節説教者 山岡創牧師 ◆イエス、大祭司のもとに連行される18:12 そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、18:13 まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カ… マルコによる福音書 2章1-12節説教者:野澤幸宏神学生 ◆中風(ちゅうぶ)の人をいやす2.1数日後、イエスが再(ふたた)びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、2.2大勢(おおぜい)の人が集まったので、戸口の辺(あた)りまですきまも… 聖書 ヨハネによる福音書19章31~42節説教者 山岡創牧師 ◆イエスのわき腹を槍で突く19:31 その日は準備の日で、翌日は特別の安息日(あんそくび)であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすよう… 続けてヨハネによる福音書は、わたしたちに「言は神と共にあった。言は神であった。」と宣言します。この「神」は、「父なる神」です。ヨハネによる福音書は、わたしたちに「言」である主イエス・キリストが父なる神と共に永遠に存在されていたと証ししています。そして、続けて「言は神であった」と宣言することで、「言」である主イエス・キリストが「父なる神」と同質、同等の神であると証ししています。
2020年5月17日 主日礼拝説教 聖書 ヨハネによる福音書20章1~10節説教者 山岡創牧師 ◆復活する20:1 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。20:2 そこで、シモン・ペトロのところ… このロゴス讃歌を、初代教会のキリスト者たちは礼拝の中でよく賛美していたでしょう。彼らは、このロゴス讃歌で、永遠から父なる神と共にいまし、こ
ですから、言葉であるキリストは、受肉前には神の民イスラエルの残りの者たちにこの神の子という資格、特権をお与えになり、受肉後には、ユダヤ人ではなくても、すべての人々に信仰によって神の子の特権をお与えになりました。
それでも主は、人類を憐れみ、アブラハムを通して神の民イスラエルを御自分の民として選ばれ、主イエス・キリストが受肉して、この世に来られるまで、彼らと共に歩まれ、多くの預言者たちを遣わして、神の民イスラエルにご自身に立ち帰るように招かれました。しかし、彼らは不信仰によって常に主を拒んでしましました。そして、最後にキリストが受肉し、彼らのところに来られたのです。しかし、ユダヤ人を代表するこの世は彼を拒んでしまいました。 そのロゴス讃歌は、本来次のようなものであったと考えられています。すなわち、「言」である主イエス・キリストについて、次の3つを主題として賛美していました。すなわち、1-5節が創造以前に存在し、そして世界と人を創造されたロゴスの働きとそのロゴスが人にとってのどんな意義があるかということを賛美しています。次に9-11節は、ロゴス、すなわち、言が、肉体を取り地上に来る前に、彼は主なる神としてご自分の民、すなわち、神の民であるユダヤ民族を招かれましたのに、彼らがロゴスを受け入れなかったことです。そして、15-18節でご自分の民に受け入れられなかったロゴスは、「わたしたち」、すなわち、キリスト共同体の中に初めて、「肉となって、宿られた」と告白し、賛美しています。 ヨハネによる福音書は、わたしたち読者に今、こう伝えようとしているのです。人間となったみ言葉は、過去にガリラヤでナザレのイエスとして御国を宣べ伝え、人々を救い、癒された。今、復活の主キリストとして、聖霊とみ言葉を通して、われわれに語りかけ、われわれの救いの働きをなさっておられる、と。だから、初代教会のキリスト者たちは、彼らの教会の礼拝において「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた」と告白しているのです。
わたしたちは、キリストを神と告白し、唯一の神に、父と子と聖霊という3つの人格があり、しかも一人の神であることを信じることができることを感謝します。 ナタナエルは、驚き、主イエスに尋ねました。「どうしてわたしを知っておられるのか」と。すると、主は彼に「わたしはあなたに出会う前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見た」と言われました。 ヨハネによる福音書説教09 主の2016年4月3日
ヨハネによる福音書17章6~19節 説教者 山岡創牧師 ◆イエスの祈り 17.6世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名(みな)を現(あらわ)しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに与えてくださいました。彼らは、御言葉… この福音書の冒頭の「初めに」という言葉を耳にして、わたしたちは旧約聖書の創世記1章1節の「初めに、神は天地を創造された」という御言葉を思い起こすでしょう。 どうか、今度はわたしたちをアンデレとフィリポとして、身近な者たちのところにお遣わしくださり、キリストを証しさせ、この教会に誘えるようにしてください。
Powered by 引用をストックしました引用するにはまずログインしてください引用をストックできませんでした。再度お試しください限定公開記事のため引用できません。 注意して、ヨハネによる福音書が語ることを聞いて下さい。繰り返しヨハネによる福音書は、1節で言である主イエス・キリストは、神と、すなわち、父なる神と共に存在されたと宣言しています。言である主イエス・キリストは、クリスマスに初めてこの世に現われたのではありません。神と共に永遠から存在され、神は言、すなわち、主イエス・キリストを通してわたしたちの世界を創造されたのです。 旧約聖書をお読みになってください。人類の始祖であり、人類の代表者であるアダムが主なる神の御命令に背いて罪を犯して以来、この世に罪が入り、生まれながらの人間はこの世界と人を創造された主を認めず、拒み続けました。主が「わたしの他に神があるはずがない」と言われると、人は主を拒み数々の神々を自ら作り、拝みました。 パウロは、アテネ伝道で失敗したように思われていますが、このヨハネによる福音書は別の見方をしています。12-13節です。「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」 このロゴス讃歌で、わたしたちは教会の礼拝の中で初代教会のキリスト者たちがどんな喜びに満たされていたか、推測することができます。16節で「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。」と、彼らは告白しています。 イエス・キリストの父なる神よ、ナザレのイエスを、わたしたちの神と信じる信仰を与えられ、心より感謝します。
聖書 使徒言行録1章15~26節説教者 山岡創牧師 1:15 そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。1:16 「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊(せいれい)がダビデの口を通… 聖書 ルカによる福音書2章22~38節説教者 山岡創牧師 <神殿 で 献 げ られる> 22 さて、 モー セ の 律法 に 定め られ た 彼ら の 清め の 期間 が 過ぎ た とき、 両親 は その 子 を 主 に 献 げ る ため、 エルサレム に 連れ て 行っ た。 23 それ は … 」(ヨハネによる福音書 3:16~17) 聖書の中心的なメッセージは何か、一言で教えて欲しいと求められることがあります。 それに対して聖書の言葉そのものを指し示すということもあります。 ... ヨハネによる福音書3章16~17節より礼拝説教.
「この方の満ちあふれる豊かさ」とは、キリストの完全な豊かさのことです。永遠から父なる神と共におられ、世界と人間を創造し、そして、十字架と復活を通して父なる神の独り子としての栄光を現された、キリストの完全な豊かさのことです。わたしは、この福音書がわたしたちに伝えている永遠の命の豊かさだと思います。
ヨハネによる福音書 19章16節~30節: 2010年 3月28日: 119 「十字架につけられた王」 ヨハネによる福音書 19章16節~27節: 2010年 3月21日: 118 「引き渡す罪、引き渡す贖い」 ヨハネによる福音書 18章38節~19章16節: 2010年 3月14日: 117 「見よ、この男だ」
続いてヨハネによる福音書は、わたしたちに「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」と宣言します。 礼拝についてのお知らせ ★6月から分散礼拝を始めます。 ★ライブ配信も継続して行います。 5月25日に緊急事態宣言が埼玉県でも解除されました。坂戸いずみ教会は6月7日から礼拝を再開します。ハレルヤ、感謝です。 しかし、新型コロナ・ウィルス感染が… わたしたちは、「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」というこの御言葉から、この世にどうしてキリスト教会が存在しているかを教えられます。 ヨハネによる福音書16章25~33節説教者 山岡創牧師 ◆イエスは既に勝っている16:25 「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。16:26 その日には、あなたがたはわたしの名によって願う… ヨハネによる福音書は、ロゴス讃歌を用いて、わたしたちの集まりであるこの教会の喜びを告白しています。 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするために、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
.
高町 恭 也, 食事の 片付け 英語, 北海道 アイヌ 地名, 鈴木茂 バンドワゴン メンバー, ニコニコ 古参 実況者, ツインクル お菓子 値段, 193 名古屋 大会, ネイビー 色見本 Cmyk, 福山 夜景 ディナー, 食品衛生法 食器 検査, ポケダン シリーズ おすすめ, テニミュ カテコ 曲, 比企谷八幡 Ss クロス, アイドル から DM きた, 毛糸 ブランケット 編み方, 最強 世界の 軍用 銃図鑑, はくたか 新幹線 停車駅, 益若つばさ 息子 アメリカンスクール, プレゼント 断り方 男性, 英語 全然 聞き取れない, Ds ワンピース ギガントバトル 攻略, 悪魔のタトゥー ドラクエ9 外し方, 競馬 無観客 解除, この世 の果てで恋を唄う少女 Steam, 日産 プレジデント 初代, 日の名残り 映画 考察, ミス シャーロック 竹内結子 ワンピース, 東大阪 小学生 バスケ,