だが暗い表情でこう言うのだ。 「日本に来る前によい国と聞いたが、そうではない」 「生活の改善のために来たのに、あまりできなかった」 2人は3年前の出国時、3年間で30万元(約570万円)稼げると聞かされていた。だが、実際は、 30年前の300万円は現在ではどのくらいの金額になりますか?×1.5くらいでしょうか?単純に紙幣としての価値です。消費者物価指数(期末時点)から割り出せば、(1983年 85.42 2013年 100.13)100.13÷85.42=1.1722・・・・・・300万円に上記を 洋酒に憧れた少年は、ウイスキーの奥深さに魅せられ、気付けば国内有数の収集家になっていた。やがて膨大なコレクションはミュージアムという形に結実し──。その波瀾万丈で酔狂な半生とは。「日田天領水」などで知られる 運営するのは高嶋甲子郎さん(上写真)。 聞けば、ここにある約3万点のコレクションはすべて個人で収集したもの。13歳の時から39年かけて財産のほとんどを注ぎ込んできた。「酔狂ですよ」と高嶋さんは笑う。 通常、お酒のメーカーが運営するミュージアムでは自社のコレクションは展示しているが、メーカーの枠を超えてあらゆる洋酒コレクションが見られるのは世界的に見ても貴重な場所だ。実際、海外からもわざわざここを目指して訪れる人もいる。 ▲禁酒法時代の密造酒やニッカウヰスキーが初めて作ったウイスキー、高級車や動物などを模したさまざまなボトル……。作られた時代の息遣いを感じられるようなコレクションの数々がある 一体どのようにしてこれだけのコレクションを集めてきたのか、洋酒のどこが高嶋さんを惹きつけてやまないのか。洋酒を巡る高嶋さんの壮大な物語、少しの間お付き合いいただきたい。 JR日田駅から徒歩約8分。天領日田洋酒博物館は市内の中心街にある。 入館料は500円。高嶋さんが解説してくれるので、洋酒に詳しくない人も見どころがわかって楽しい。 館内でひときわ目を引くのが、黄金に輝くこちらの蒸留窯。設計したのは、あの竹鶴政孝氏。どうしてニッカウヰスキーのものがここにあるのかは、後のインタビューで明らかに! 2014年から翌年まで放送されていたNHK連続テレビ小説『マッサン』にも登場した赤玉ポートワインのポスターなど。 興味深いのが、当時赤玉ポートワインとセットで配られていたノベルティの針。今よりぐっと針の値段が高かった頃、きっと喜ばれたのだろう。 ニッカの前身「大日本果汁株式会社」で作っていたアップルワイン。ウイスキーが熟成して販売できるようになるまで、アップルジュースやアップルワインを販売していた。『マッサン』を見ていた人なら見覚えがあるのではないだろうか。当時のままのものを見られることに感動する。 歴史を感じさせるものはたくさんある。これはアメリカ禁酒法時代に闇で流通した密造酒の未開封瓶。歴史的価値の極めて高いものだ。 ティファニーがシーグラム社とコラボして特別に作ったウイスキー。ボトルの3本の輪は、イヤリング、ネックレス、指輪と3つのジュエリーを象徴している。なんとも華やかなボトルだ。 お宝を紹介し出せば、枚挙に暇がない。 エルビス・プレスリーやマリリン・モンローのボトル! マリリン・モンローのボトルは、かの有名な映画『七年目の浮気』の名シーンを再現している。 注ぎ口は下にあり、スカートを覗き込むようにして注げるようになっているそうだ。細かいところまで作った人たちのセンスを感じる。 一方で、プレスリーボトルの注ぎ口は首。頭が取れるようになっている……! この汽車のミニチュア、実は中にウイスキーが入っている。メーカーがフェアの際などに、こういったものを飾っていたそうだ。 ヴィンテージカーのファンシーボトル。もちろんこれも中にウイスキーが入っている。 ギネスに登録されている世界最小のウイスキーボトル。こんなに小さいボトルが作れるのか! と驚いた。 犬の表情がたまらなく愛らしい。 一つひとつのコレクションどれをとっても興味深く、あっという間に時間が過ぎる。昔のアメリカ映画の中にいるような気分になったところで、ミュージアムの隣にあるバーに場所を移して高嶋さんに話をうかがった。 ▲ミュージアムには「kt,s museum bar」を併設。見て飲んで楽しめる場所だ ▲寒い日だったのでホットアップルティーをいただきながら。入館料500円でソフトドリンクが付いてくる 洋酒に魅せられた高嶋さんの人生。原点は少年時代に遡る。▲幼少期。高嶋家3人兄弟の次男として生まれた(写真提供:高嶋甲子郎) ▲ジョニーウォーカーは世界的に有名なスコッチウイスキー。斜めに張られた黒いラベルから日本では「ジョニ黒」の愛称で親しまれてきた。赤いラベルの「ジョニ赤」もある 時代は円安・ドル高。長らく1ドル360円の時代が続き、1ドル308円のスミソニアンレートを経て1973年に固定相場制が崩れる。酒税も今よりずっと高く、「ジョニ黒」を買うのに初任給に近いくらいの金額がかかっていた1970年代頃の話だ。だからこそ、海外旅行の際に免税店で買うのがチャンスだった。 ▲こんなふうに 子ども時代の原体験がその後の価値観に大きな影響を与えた。さらに、ある日見た西部劇の映画で、バーボンウイスキーをカウンター越しにスッと滑らせるシーンにすっかり魅せられたという。 ウイスキーラベルのデザインのかっこよさにも惹かれた。そうしてウイスキーが醸す大人の空気感の虜になっていく。 ▲コレクション第一号はこちらのポスター。長い時を経て今もなお天領日田洋酒博物館に飾ってある 小学生の時点でアイドルや映画スターのポスターではなく、こういうものを欲しがるとは、やはりタダ者ではない。 こうして高嶋さんのコレクター人生が幕を開ける。少年時代からの「欲しいものは粘り強く待ち、交渉する姿勢」は約40年たった今も変わらないばかりか、ますます熟成し続けるばかりだ。 ▲中学時代の写真。左から3番目が高嶋さん(写真提供:高嶋甲子郎) コレクション第一号を皮切りに、中学時代から自分でも酒屋さん、骨董市などを巡って気になる洋酒グッズを買い求めるように。最初の頃は使えるお金も限られていたので、まずはコースターやマドラー、グラス、灰皿などの小さい物から手を出した。 あちこち巡っていろんなものを見れば見るほど、骨董品を買うためのお金がもっと欲しくなる。あらゆる金策を模索した結果、いきついたのが鳩だった。 「末恐ろしい」とはこのことか。古物商の免許は? などという無粋なツッコミはこの際やめておこう。鷹揚な昭和の時代のエピソードだ。もちろん18歳になるやいなや古物商の免許は取得した。 ▲多くのものを見て回ることで、自然といいものが見分けられるように。ヴィンテージ古着の目利きもできるようになってくる 高嶋さんの父・千代三(ちよぞう)さんは、ダンボール会社と家具の問屋を経営していた。千代三さんは7人兄弟だが、その中の千代三さんを含む男5人は皆何か商売をしている、生粋の商売人の家系。高嶋さんも子どもの頃から商売感覚があったようだ。ただ、親兄弟と決定的に違ったのは、稼いだお金をすべてコレクションにつぎ込んでいたことだった。 自転車で奔走して洋酒グッズを買い集める高嶋さんを、当時の周りの人はどう思っていたのだろうか。 ▲日田高校ラグビー部で一緒だった梶原さん。高嶋さんとは30年以上の付き合いだ。梶原さんは日田市で柚子胡椒の製造販売をしている ▲高嶋さんと一緒に、日田特産の食材を使ったオリジナルソースを開発。それがこの「たまがるうソース」(650円)。トマト岩のりソース味と、青じそソース味の2種類があり、肉にかけて食べるのがおいしい。天領日田洋酒博物館内でも販売中 ▲高嶋さんは高校から30歳までラグビーを続けた。写真(右側)は大学時代のスナップ(写真提供:高嶋甲子郎) ▲当時高嶋さんから購入したヴィンテージのサンダル。油を塗って大切に保管してあるそう。最近、高嶋さんが梶原さん宅を訪問した際、30年以上昔に売ったサンダルを今でも大切にしている様子を見て感激したそう 高校卒業後は (写真提供:高嶋甲子郎) さらに、高校卒業とほぼ同時に免許を取得し、ローンで中古車を購入。自転車の頃と比べて可動範囲が格段に広がった。これを機に、全国各地へ仕入旅に出かけるように。 ▲天領日田洋酒博物館前に展示してあるフォルクスワーゲン。当時購入したのはこれの色違いだ フォルクスワーゲンに寝袋を積んで、全国の酒屋さん、アンティークショップ、骨董市、と ▲そのニッカウヰスキーの鏡。当時は鏡関係のノベルティも多く作られていた 今のようにインターネットで手軽にオークションに参加できる時代ではない。だから情報収集には独自のネットワークを築いていた。他にも洋酒関連グッズを集めているコレクター仲間と品物や情報を交換していた。 ▲洋酒関連のグッズはボトル、コースター、灰皿、ポスター、鏡、Tシャツ……ととにかく幅が広い。時計は、洋酒メーカーが社員向けの記念品や、一般の懸賞用として作っていたもの いい品物を手に入れるためには、買い続けることも大切だという。 ある程度グッズが増えてきたころは、自分で骨董市に出店して重複したものを売ったりもした。 大学卒業後は「世の中で一番高いものを売りたい」と そうしてトップセールスマンとして収入がぐんぐん上がっていた頃、迷いはなかったのだろうか。 ▲マットレスを作っている高嶋さん(写真提供:高嶋甲子郎) 父親が経営していたもう一つのダンボール会社は高嶋さんの兄が継ぎ、マットレス製造を高嶋さんが始める。予想どおりに年収はぐっと減り、4分の1程度に。そこで高嶋さんは、マットレスの運搬に使っていた日産キャラバンや2トントラックをヴィンテージ家具や古着の仕入れにも使って骨董業を始める。家業を強引に自分の趣味へ寄せてくるあたりは、もう才能としか言いようがない。 ▲日産キャラバン。自転車からスタートして、フォルクスワーゲン、日産キャラバン、2トントラック。高嶋さんの仕入れはスケールを増していく ▲2トントラック。これさえあればもう何でも仕入れができる!(写真提供:高嶋甲子郎) ▲当時のチラシ その後、マットレス製造会社「kt,s bed」のほかに、アンティーク家具の「kt,s shop」、ヴィンテージ古着の「kt,s vintage wear」を運営した。 さらに、後ほど触れるが2011年に「天領日田洋酒博物館」がオープンした際に、会社のミニ博物館だったスペースが空いたため、ここにはビールコレクションを並べた「ビールミュージアム」を作った。 ▲ビールミュージアム(画像提供:高嶋甲子郎) とにかくパワフルな高嶋さんのことを、友人は「マグロ」と呼ぶ。止まると死ぬと言われる姿になぞらえて……。 高嶋さんが暮らす ▲マッサン特設コーナー。朝ドラで竹鶴政孝氏のことを知った人も多いだろう 噂を聞きつけるやいなや、居ても立っても居られなくなり工場の受付へ。 ▲こんな顔 竹鶴政孝氏が作った蒸留窯は、いわばニッカウヰスキーの宝であり、社の礎のようなものだ。それを個人に譲るなんて選択肢は絶対になかっただろう。突然買いたいと交渉に現れた人の存在は、さぞかし奇妙に映ったことだろう。 それを見た瞬間、工場長の目の色が変わる。ニッカウヰスキー本社ですら所蔵していないような、初期のニッカウヰスキーのコレクションまで揃っていたからだ。 ▲1999年、蒸留窯を搬出する様子(写真提供:高嶋甲子郎) ▲予想どおり大がかりな作業となった(写真提供:高嶋甲子郎) 搬出からトラック積み込み、設置ととにかく大掛かりな作業に。工事関係者からドア会社の人まで20人以上の人が関わった。もちろんそれらの経費は高嶋さんが支払う。 ▲天領日田洋酒博物館に設置する様子(写真提供:高嶋甲子郎) ▲その電報は宝物のように大切に保管している なんとしても洋酒博物館を開こう──。蒸留窯を売ってもらったことで、高嶋さんの決意が固まる。 今まで集めてきたコレクションの展覧会を開催した時に「こういうものに囲まれてお酒を飲めるといいですね」といろんな人から言われたことをきっかけに、博物館&バーのスタイルでやろうと方針が固まる。かくして2011年4月29日、天領日田洋酒博物館がオープンした。 ウイスキーの神様が設計した蒸留窯を購入できるなんて、洋酒に魅せられてきた男の人生の集大成ともいうべき奇跡だ。しかし、いいことばかりではない。思いもよらない苦難の連続が高嶋さんを待ち受けていた。 2016年4月に発生した ▲大事に集めたコレクションが壊れている様子を見るのは心が痛む(画像提供:高嶋甲子郎) 当時の気持ちを尋ねても「いやあ、本当にいい匂いで」と高嶋さんは繰り返す。香りの記憶が鮮烈だったようだ。今まで大きな地震のなかった日田市。予想外のできごとに直面した後、印象に残っているのはそういう細かいディテールなのかもしれない。 (画像提供:高嶋甲子郎) さらに、忘れもしない2016年7月31日の深夜、バーで仕事をしていた高嶋さんに後輩から一本の電話が入る。 ▲夏の夜だった ▲焼け跡(画像提供:高嶋甲子郎) 経営していたマットレス製造会社、レトロアンティーク家具店、ヴィンテージ古着店、ビールミュージアム、すべてが燃えた。残ったのは別の場所で営業していた天領日田洋酒博物館だけ。 高嶋さんは、今でも消防署の前を通るたびに必ず頭を下げているという。▲全焼したビールミュージアム(画像提供:高嶋甲史郎) しかし、被害がなかったのは幸いとはいえ、高嶋さんの今までの人生が詰まったものの数々。どんなに辛い体験だっただろうか。 13歳の時から集めてきたコレクションは、洋酒以外のお酒(ビール、日本酒、焼酎、ワイン)のものも多く、細かいものまで入れたら10万点以上あった。それがわずか8時間のあいだに全焼。商品はレトロアンティークとヴィンテージばかりなので、商品の保険には入っていなかった。というか、入れる保険がなかったというべきか。被害総額は途方もない金額だ。原因は漏電だった。 また辛い話をしてもらうのも気が引けたが、当時のことを聞いてみる。 一切の悲壮感のない高嶋さんの軽妙な語り口に驚く。 真っ先に火事に駆けつけて消火に尽力してくれた警察や消防の方々。そして高嶋さんの長年の大親友がすぐに「高嶋甲子郎支援金」を自主的に作り、全国に散らばった中学、高校、大学の友人たちから支援を募った。「少しでも力になれれば」と多くの人がバーにたくさん飲みに来てくれた。金融機関の人も余裕のある返済計画に協力してくれた。1000人以上の人がお見舞いに来てくれたそうだ。だから今の洋酒博物館があると高嶋さんは言う。 ちなみに、集まった「高嶋甲子郎支援金」の口座は高嶋さんの手……ではなく奥様の手へ。「だって、まずは当面の生活費を何とかしなきゃいけないのに、甲子郎さんに渡したらすぐ仕入れに使っちゃいそうだから」とのこと。 ▲梶原さんも「高嶋甲子郎支援金」に参加 2カ月かけて火事の残務処理をした後に、天領日田洋酒博物館隣のスペースを借りてその年の12月に「kt,s shop」を再オープン。火事からわずか4カ月。すごい勢いだ。隣のスペースは大家さんが駐車場に使っていたが、「がんばりぃ」といって空けてくれたそう。 ▲kt,s shop。天領日田洋酒博物館で声をかければお店を開けてくれる 多くの人に支えられ、前へ進んだ。しかし、人生が続く限り「ハッピーエンドでおしまい」となることはないようだ。火事から約1年後の2017年7月、 取材の最後に、「そうだ、面白い画像があるんですよ」と見せてくれたのは、なんと大手の中古書店チェーンで働く高嶋さんの写真。「私、アルバイトしているんです!」とのこと。天領日田洋酒博物館がオープンする前の午前中の時間帯を活用して週に3、4回バイトしている。経営者がアルバイト? いったいどういうことなんだろう。 顔の広い高嶋さん。地元民がよく訪れる中古書店チェーンだから知り合いが来ることもあるそう。そんな時、みんな高嶋さんがエプロンをして古本の品出しをしている姿を見て驚くのだという。 ▲これがその姿。確かに3度見してしまう(写真提供:高嶋甲子郎) 苦難があっても、軽快にユーモアをもって飄々と生きる高嶋さん。まるで西部劇に登場するさすらいのカウボーイさながらだ。 3月の初旬、掲載前の記事確認で電話をしていた時、新型コロナウイルスの影響で大型観光バス6台キャンセル、夜の宴会予約で約150人のキャンセルと現在進行形で厳しい状況に陥っていることを伺った。それでも高嶋さんの声に悲壮感はない。 人生を全力で楽しんでいる高嶋さん、これからも目が離せない。 鹿児島在住フリーライター。九州を中心に取材、WEBと紙の両方で企画から撮影、執筆まで行っています。鹿児島は灰が降るので車のワイパーが傷みやすいのが悩み。温泉が大好きです。
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