日本パラリンピック委員会(JPC=Japanese Paralympic Committee)は、公益財団法人日本障がい者スポーツ協会の内部組織で、日本を代表する組織として国際組織・競技団体に加盟し、国際競技大会への選手派遣や、国内の選手強化を実施しています。 1988年生まれの31歳。スポーツ好きのやんちゃ坊主だったレームは、14歳の時にウェイクボード練習中の事故で右足ヒザ下を切断、義足での生活が始まった。レームは現在も、国際陸上競技連盟が求める「競技用義足が有利に働いていないことの証明」を追求している。が、国際陸連が求める答えを出すには至っていない。だからと言って、オリンピック出場を諦めたというわけではない。 https://sports.nhk.or.jp/paralympic/article/style/20191018-miyazaki 男子1500メートル車いすのクラスで、世界記録保持者の男子1500メートル車いすのクラスで今大会、2つ目の金メダルを獲得した佐藤友祈選手は「スタートで出遅れるのは分かっていたので選手たちの隙間をぬって出て行こうと決めていた」とレースを振り返りました。男子1500メートル車いすのクラスで銀メダルを獲得した上与那原寛和選手は「ペースの変化にも対応できて、とてもいいレースだったしメダルを取ることができてよかった」と話していました。男子1500メートル車いすのクラスで銅メダルを獲得した伊藤智也選手は、「チームジャパンで表彰台を独占するという意気込みでレースに臨んだ。最後は伸びなかったけど日本選手で1位から3位まで占めることができたからよしとしましょう」と話していました。◆男子5000mT11決勝◆女子400mT20予選唐澤選手は、4000メートルを超えてから徐々に順位を上げ、最後の400メートルも粘って15分48秒21のタイムでフィニッシュし、女子100メートル車いすのクラスT52の決勝では、 特有の反発力が記録に表れやすく、走り幅跳びにおいて有利とされています。 その証拠に、トップレベルの幅跳び選手たちは、 人間の足より大きな力を発揮する「義足側で踏み切る」 という共通点があります。 2)『毎回、健常者のオリンピックが「主」で、 男子1500メートル知的障害のクラスの決勝では、赤井大樹選手が4分1秒23で7位に入りました。東京パラリンピックの代表に内定した唐澤選手は「積極的に走ることを意識していた。レースの中で伴走者と協力して 走れたことが銅メダルにつながった。暑い中で結果を出せたのは自信になる」と振り返りました。そのうえで、「海外の選手との力の差を感じた大会でもあったのでもっと速いタイムを目指して頑張っていきたい」と東京パラリンピックへの意気込みを話しました。銀メダルを獲得した田中照代選手は「いいスタートが切れて前に出ることができたのに後半に失速してしまったので悔しい」と話していました。また、パラリンピックの種目として成立する条件を満たさなかったことについては「東京パラリンピックでは開催されることを信じて練習を頑張っていく」と話していました。銅メダルを獲得した木山由加選手は「銅メダルを獲得できたことはうれしいが、タイムがよくなかったので悔しさが残る」と話していました。また、今回パラリンピックの種目として成立する条件を満たさなかったことについては「今は出場人数が足りない状況だがやはり東京大会には出たいので選手が増えるように参加を呼びかけていきたい」と話していました。◆男子走り幅跳びT20決勝◆女子100mT63決勝男子走り幅跳び足に障害があるクラスの決勝が行われ、8メートル48センチの世界記録を持つドイツの女子100メートル足に障害があるクラスの決勝では、前の日に走り幅跳びで銅メダルを獲得したマルクス・レーム選手は「きょうは向かい風が強くて記録は出なかったがいいジャンプはできたと思う」と振り返りました。次の大舞台となる来年の東京パラリンピックについては「金メダルというタイトルを守るためにトレーニングを続けて最善を尽くす。東京大会では追い風が吹くことを願っているよ」と笑顔で話していました。兎澤朋美選手は「きのう走り幅跳びに出場し疲れがある中で、いまできるかぎりのベストを尽そうと臨んだ。持っている力を出し尽くせたと思う」とレースを振り返りました。◆男子100mT11予選 ◆男子100mT11準決勝 男子100メートル車いすのクラスの決勝では、前の日の予選で日本記録を更新した56歳のベテラン女子走り幅跳び足に障害があるクラスの決勝では、日本記録を持つ20歳の女子200メートル視覚障害のクラスの決勝では、すでに代表が内定している佐々木真菜選手が6位でした。東京パラリンピックの代表に内定した大矢勇気選手は「手に着けているグローブがすべって加速が落ちましたがなんとか走りきることができました。表彰台に立てなかったのはすごく悔しいですが、東京パラリンピックの内定となったことは素直にうれしいです」と話していました。また、来年の東京パラリンピックに向けては「まだまだ伸びしろもあると思うのでレベルアップしていけたらいいと思っています」と話していました。兵庫県西宮市出身の37歳。16歳のときにビルの解体の仕事中に転落して脊髄を損傷し、車いす生活になりました。14年前に全国障害者スポーツ大会に出場したことがきっかけに本格的に競技を始めことしの日本選手権やジャパンパラ大会では優勝を果たしました。大矢選手は練習回数を週に2回から5回に増やし、来年の東京パラリンピックを目指しています。銅メダルを獲得した伊藤智也選手は「右手の手袋が途中ではずれてしまい、少し焦りました。レーンしか見ていなかったので3位に入ったことも全然分かりませんでした」とレースを振り返ったうえで、「何があってもメダルを獲得できたのはうれしいことで大変喜んでいます」と話していました。銅メダルを獲得し東京パラリンピックの代表に内定した兎澤朋美選手は「もっと上の記録を目指していたので残念ではありますが、銅メダルで東京パラリンピックの代表に内定したので、最低限の目標は果たせたと思います」と話しました。また、初めての世界選手権で1回目から好記録を出したことについては「緊張はありましたが自分のやるべきことをしっかり考えました。1回目に集中していこうと準備をしてきたので自信になりました」と振り返りました。そのうえで、東京パラリンピックに向けては「技術やメンタル、それに体力の面でまだまだ課題があるので来年は万全の状態で迎えられるようにしたい」と意気込みを話しました。茨城県つくば市出身の20歳。小学5年生のときに骨肉腫という病気で左足を失いました。東京パラリンピックの開催決定をきっかけに出場を目指すようになり、パラアスリートに特化した陸上部を新設した日本体育大学に入学し、義足のクラスで本格的に陸上を始めました。得意種目の走り幅跳びでは、義足を使いこなす技術が向上し急激に記録を伸ばしていて、ことし6月にはアジア新記録を大幅に更新しました。東京パラリンピックでのメダル獲得を目標に掲げています。前川楓選手は三重県津市出身の21歳。中学3年生のときに交通事故で右足を切断し、高校進学後に義足で陸上競技を始めました。得意種目の走り幅跳びでは初出場だった2016年のリオデジャネイロパラリンピックで4位に入り、よくとしの世界選手権では銀メダルを獲得しました。リオデジャネイロ大会後、走り幅跳びを本格的に強化するため、北京オリンピックに出場した女子走り幅跳びの日本記録保持者、井村久美子さんから指導を受け東京パラリンピックでのメダル獲得を目指しています。◆男子1500mT54予選男子走り高跳び足に障害があるクラスの決勝が行われ、5大会連続でパラリンピックに出場し、現在、世界ランキング1位の男子走り幅跳び腕に障害があるクラスの決勝では、芦田創選手が6位、鈴木雄大選手が7位でした。女子400m脳性まひなどのクラス決勝では竹村明結美選手が5位で代表内定はなりませんでした。中西選手は「今回のメダルは本当に大きいし、あれだけのプレッシャーの中で最後に最高のジャンプができたのは、なかなか自分を褒めない自分でもしっかり褒めることができる」と喜びを語りました。大分県由布市出身の34歳。21歳のときに仕事中の事故で右足を失いました。中西選手の指導にあたっている荒川大輔コーチは「最近は踏み切りと助走がかみ合っていなかったのでそのバランスを整えていった。きょうは試合前の練習でも状態がよさそうだったから実力どおりならいい記録を出せると思っていた。プレッシャーのかかる最後の1本であのパフォーマンスを出せるのはすごい。彼女の頑張りを褒めたい」とたたえていました。鈴木選手は「競っている勝負どころで、少ない失敗で跳ぶことができたことがメダルにつながった。ただ記録も準備ももう少し上を目指していたから悔しさもある」と話しました。山梨市出身の39歳。18歳の時に交通事故で右足のひざから下を失い、義足をつけて陸上を始めました。成田選手は「自分のベストの記録に近い高さを跳ぶことができたし、今シーズンは安定して成績を残せているのでいい兆しだと思う。力を入れてきた踏み切りは進化していると感じるが、助走のスピードが上がるとそのスピードに耐えられず、踏み切る右足が曲がってしまうので改善していきたい」と話していました。井谷選手は「自己ベストを狙っていましたが、全くその目標に届かず悔しいです。今できる自分のベストを尽くしても世界のトップ選手の背中には届かず、実力不足や自分の甘さを感じました」と話していました。◆女子1500mT20決勝男子走り幅跳び義足のクラスの決勝では、世界ランキング2位の女子400メートル腕に障害があるクラスの決勝では、リオデジャネイロパラリンピックで銅メダルを獲得した重本沙絵選手が、自己ベストから1秒余り遅い1分0秒65のタイムで7位となり、今大会での東京パラリンピックの代表内定を逃しました。また、男子やり投げ腕に障害があるクラスの決勝では、高橋峻也選手が自己ベストを2回更新して57メートル20センチをマークしたものの6位でした。山崎晃裕選手は7位、白砂匠庸選手は8位でした。このほかの決勝では、女子1500メートル知的障害のクラスで、古屋杏樹選手が6位、蒔田沙弥香選手が7位でした。予選では、男子100メートル義足のクラスで、井谷俊介選手が全体の7位で決勝に進みました。山本篤選手は「もう少し跳びたかった」と悔しそうに話したうえで、「1回目は絶対に記録を残していこうという気持ちで臨み、2回目は勝負にいこうとしたがうまくいかなった」と振り返りました。また、来年の東京パラリンピックに向けては、「最高のパフォーマンスを出すことにつきると思う。まだ成長できるという気持ちもあるので、7メートルを跳べるようにしていきたい」と話していました。静岡県掛川市出身の37歳。日本のパラ陸上の第一人者として、おととしには、プロ転向を宣言し、去年はピョンチャンパラリンピックにスノーボードの2種目で出場するなど、パラスポーツの普及と発展に力を注いでいます。重本沙絵選手は、「後半、うまくスピードを上げられなかった。けがの影響も少しあったがこの結果は、自分の実力不足」と振り返りました。北海道函館市出身の25歳。◆女子走り幅跳びT11決勝◆男子砲丸投げF53男子400メートル車いすのクラスでは日本選手3人が決勝に臨み、また、女子走り幅跳びの視覚障害のクラスの決勝では、また、男子400メートル腕に障害があるクラスの決勝では、石田駆選手がみずからが持つ日本記録を0秒45更新する49秒44のタイムをマークしましたが5位にとどまりました。男子400メートル車いすのクラスで金メダルを獲得し、この種目で3連覇を果たした佐藤友祈選手は、「本当にうれしい。リオデジャネイロパラリンピックでマーティン選手に負けて、その雪辱を果たすために東京でパラリンピックのタイトルを目指している。世界選手権はその勢いをつけるための大会と位置づけているのでそれが達成できてよかった」と振り返りました。静岡県藤枝市出身の30歳。21歳の時に脊髄の病気で胸から下がまひして両足が動かなくなり、左手にも障害が生じ車いすでの生活になりました。三重県鈴鹿市出身の56歳。21年前に病気のために両手足がまひし、間違えて競技用の車いすを注文したことがきっかけで、よくとしから車いすで陸上競技を始めました。沖縄県沖縄市出身の48歳。28歳のときに交通事故で胸から下がまひして車いすで生活するようになり、その2年後にリハビリのために陸上を始めました。東京 大田区出身の35歳。生まれたときから視覚に障害があり、18歳の時に視力を完全に失いました。◆男子400mT47予選大阪・東大阪市出身の42歳。和田選手は、「きのうの予選から調子よく走れていたので、思っていたとおり4位に入ることができてよかった。得意にしている最後の300メートルでスパートをしっかりかけることができた」と笑顔で話していました。男子400メートル車いすのクラスで、予選を1位で通過した佐藤友祈選手は、「緊張もあってスタートが鈍かったが、決勝に向けて体にいい刺激が入ったので、優勝をねらうだけだ」と話しました。男子200メートル義足のクラスの予選で、みずからが持つ日本記録を更新して決勝進出を決めた井谷俊介選手は、「スタートはよかったがコーナーの出口でもたついた。修正すれば決勝で速い選手についていけると思うので、4位を目指して走りたい」と話していました。◆女子400mT13予選女子400メートル視覚障害のクラスで女子400メートル視覚障害のクラスの佐々木真菜選手は午前中に行われた予選で58秒65と全体の2番目のタイムで通過し、決勝では自己ベストを更新する57秒台を目指しました。福島市出身の22歳。視覚に光の調節が難しい「無虹彩症」という障害がある佐々木選手は中学2年生の時に陸上を始めて中距離の種目に取り組み、高校2年生で400メートルに転向しました。女子400メートル視覚障害のクラスで4位に入り東京パラリンピックの代表に内定した佐々木真菜選手は「内定してすごくうれしいですが、メダルを目指していたので4位はくやしいです」と話していました。男子1500メートル視覚障害のクラスの予選で自身が持つ日本記録を更新して決勝に進んだ和田伸也選手は「記録をねらって予選を突破したいと思っていたので思い描いたとおりのレースができた。伴走のガイドからも的確に指示をもらえて走りやすかった」と振り返りました。知的障害クラスで走り幅跳びのホープ。もともと短距離を走り、取り組んでいた400mで伸び悩んだため高校3年で走り幅跳びに転向。スピードにのった助走からのジャンプで才能が開花した。2018年アジアパラで6m79の日本新記録で銀メダル。7m超えが待ち遠しい。知的障害クラス期待のホープの一人。高校駅伝の名門で鍛えた走力で1500mが主戦場。2019年6月の日本ID陸上1500mで日本新を出して優勝しながら派遣標準を切れず悔しい思い。しかし7月の競技会で2秒近く突破。8月のフランスグランプリでは2位に食い込んだ。脳性まひのクラス、腕や足が動きにくい障害がある。13歳から陸上をしていたが、体幹の弱さや麻痺の影響で記録が伸びず、17歳の時に脳性まひの最も軽いクラスを経て、400mでの東京パラ挑戦を決意、メダル獲得が目標。中学を卒業し特別支援学校に進んでからマラソンで力を発揮。大会が多いトラックに転向して頭角を現す。初出場の2017年世界パラ陸上800mで最後に抜かれて優勝を逃がしたが、アジア新記録で銀メダル。東京パラでは1500mでメダルを狙う。練習ノートをつけている。25歳の時に駅での事故で右脚太もも半分を失う。競技用の義足をつけて走り始め、2011年には国際大会にも出場。リオパラにはあと一歩で出場資格を得られず、東京パラ出場が目標。コーチを務める夫・健二さんはボブスレーの日本代表で、2018年に長女が誕生。中学・高校では野球部で活躍。19歳の時に交通事故で胸椎を損傷。その年から車いす陸上を始め、2013年世界パラ陸上の10000mで銀メダル。競技経験わずか2年での躍進も、その後リオパラ代表落ちを経験。今回の世界パラ陸上は東京パラに向けてラストチャンスと臨む。知的障害クラスの中長距離種目でトップクラス。細身の体でレース序盤から積極的に飛び出すレースが信条。2018年アジアパラで1500mに出場し優勝、陸上の知的障害のクラスで日本唯一の金メダルを獲得。アンケートによると、ライバルはなく自己ベストの更新が目標。先天性の脊椎不全で歩くのが困難に。スポーツ好きで車いすの陸上とバスケを並行して始め、記録が伸びた陸上に専念。2013年アジアユースパラゲームズで短距離3冠。2017年世界パラ陸上で200m8位入賞。小さい頃からプロ野球にあこがれ同性同名の西勇輝投手が目標。
出版社勤務を経て、フリーのライターに。1998年の長野パラリンピックを機に障害者スポーツの取材に携わり、「Tarzan」「スポーツグラフィックナンバー」など雑誌やインターネットメディアで執筆。12年ロンドンパラリンピック、14年ソチパラリンピックではNHK開会式中継解説を担当した。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』『みんなちがって、それでいい』。日本スポーツプレス協会理事、国際スポーツプレス協会会員。 2020年東京パラリンピック開幕まで、ちょうど1年となった今年の8月25日。ドイツの義足ジャンパー、マルクス・レームが、東京・代々木公園陸上競技場で行われたイベントで走り幅跳びを披露し、非公認だが世界記録を上回る8m50を跳んだ。 https://sports.nhk.or.jp/paralympic/article/note/dubai-athletics-result
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